2010年02月16日

ガード下の壁画

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【HDR】 RAW1枚から±2EV3枚。→Photomatix PRO 3→PhotoshopでContrastmask、Local contrast enhancement、その他ブレンド。→一部コンポジット合成および、描画。(クリックで大きくなります。)
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(本画像)
ガード下の壁画です。これを書いているところに出くわしたことがあるのですが、ボーイスカウトとガールスカウトの小中学生たちが一生懸命に書いていました。
「私たちの美しい町」というのがテーマのようです。
以前は汚らしい落書きが絶えないところで、白く塗りつぶしてもまたその上から、さらに汚らしい落書きが書かれていたものです。グラフィティーなんとかというアートのかけらもない、汚らしい落書きなんかも書かれていました。イノベーションのないアートは自慰行為にしか過ぎないわけで。(それも根本的な意味ではアートなのかもしれないけど。へリングやバスキアからほとんど進歩していないし、何も新しいものを生み出していない、様式化してしまってただの落書きになってしまった。)

思いを込めて書かれたほんとうのアートがあるので、もう汚らしい偽アートは現在書かれていません。

(また落書きが書かれるとといけないので場所は伏せておきます。)

2009年05月25日

パッチワークキルト

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阿賀野市(旧水原)の福祉会館で月2回行われているパッチワークキルト教室へ行ってまいりました。

この教室の先生は私の高校時代の同級生です。先日GWに皆で集まったときにこの話を聞いて、今度見学に行くという話をしていたのです。その席にいたもうひとりの同級生TWINSさんと一緒にブログネタ(笑)のために取材です。

講師の福田さんは豊栄(現新潟市)の出身で現在は白根(現新潟市)に嫁いでいます。
今だと同じ市内にだと言えるのですが、豊栄と白根ではすごい遠いです。実際。

現在、県内で8箇所に教室を持ち、パッチワークキルトを教えています。
どの教室も定員が満杯で大人気だそうで、「もうこれ以上生徒は増やせない。」
とのこと。たいしたものです。

人に教えるだけでなく、自分でも作品創作を積極的に行っていて、数々の賞を取ったりしているそうです。すごいですね。
彼女はキルトでもトラディショナルなものではなく、自由な発想とモチーフのコンテンポラリーキルトを得意としています。おもに銘仙という着物や久留米絣(かすり)のいわゆるオールド物、「古布」というらしいですが古い生地を苦労して集め、パッチワークキルトを作っています。

今度の秋2.5mの大作を何かの賞に応募するらしく、TWINSさんに写真選考用の撮影を依頼していました。

というわけで、作品紹介。
銘仙という着物の生地を使ったキルト。「今一番好きな素材。」だそうです。

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細部に手抜きが全くなく、とても美しいです。

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ミシンはフリーに動くように設定し、縫い目を自由自在に躍らせます。よくわからないですがどうやらここが重要なようです。

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撮影してるのはTWINSさん。TWINSブログはどう来るのか楽しみです。

 次は久留米絣(かすり)を使った作品。こちらは賞を貰った作品だそうです。

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生徒の皆さん、感嘆の声を上げて見入っています。

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うーーん、美しい。和の要素をコンテンポラリーキルトに変身させる手腕はたいしたものです。

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・・・・というわけで、これが前々々会の記事の謎1でした。な~~んだと言わないで下さい。

最後に、「今度男性も対象にした講座をやる(たぶんそういった気がする?)ので、そがくん(←私)も来れば?そがくん(←私)なら絶対出来るよ。」・・・と言われてしまいましたが、私はいったん凝りだすと大変なことになるのは自分自身よーくわかってるので、辞退しておきました。

2009年04月30日

曾我蕭白

4月5日に放送されたNHK教育「日曜美術館」の
「曾我蕭白あくなき破壊への挑戦~ゲスト村上隆」
を見て衝撃を受けた話です。

ゲスト解説者の「村上隆」はアニメやフィギュアなど
のサブカルチャーであるオタク系の題材を用いた作品が
有名で、現代日本で最も国際的に評価されているアーチスト。
ルイ・ヴィトンの依頼で鞄をデザインしたあの人・・・
といえば思い出す人も多いはずです。
実をいうと氏は元々日本画出身で、その作品にも
浮世絵など日本画の影響を受けています。

この番組の中で村上隆は「曾我蕭白」を3本の指に
入るほど好きな画家であるといってます。
また番組では当時の京で流行した「狂」の思想
と「曾我蕭白」をからめて人と作品を紹介していました。

江戸中期の異端の絵師「曾我蕭白(そが しょうはく)」(1730〜1781)。

群仙図屏風
(群仙図屏風)

日本画の歴史において、メインストリームを外れた
「異端」の画家が近年再評価されていますが、
そのなかでも「狂」の絵師「曾我蕭白」は
墨の濃淡を熟知し、高度な筆の技術を駆使し
細密で精確な描写をするといった反面、
顔料の性質を熟知した鮮やかな極彩色と
大胆で型破りな空間把握の構図によって
強烈な不安定さを生み出し、
あえて伝統的なモチーフを醜悪に描き出し、
見るものを魅了したかと思えば、神経を逆なでし、
カオスへと落とし入れる・・・・
といった当時としては破壊的な表現を続けた絵師です。

精緻な写生で名を上げ、一大流派を作った同時代の円山応挙
について、「画を望むなら自分に。図を求めるのなら応挙に。」
と蕭白は言ったそうです。
すなわち、作品に自分自身を投影する蕭白にとって、
記録のような作品を絵として認めることはできなかった
のではなかろうかと思われるのです。

実を言うと、曾我蕭白は本姓は三浦氏なのですが、
なぜ曾我を名乗るようになったかは定かでありません。
曾我派は室町時代の代表的な画系で、なかでも曾我蛇足の作風は、
奇矯な作風といわれていました。そこから曾我と名乗ったのかもしれません。

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・・・んー、なんか、日頃考えていたことに対して
なぜか答えを見つけたような、そんな気がする(勘違い。)
ちなみに私アゴスの名前は「曽我浩徳」です。
同じ曽我だし(蕭白の本名は三浦です。)・・・・??
・・まてよ、これは社会心理学用語でいうところの「確証バイアス」
(先入観に基づいて物事を見て、自分に都合のいい情報だけを
集めて、それにより自己の先入観を補強していくいう現象。)
・・・なのかもしれないぞ。
これは恋愛や宗教、身近な例では占いなどに多く見られます。
(もちろん、すべてがそうとは限らない。)
もし、曾我蕭白じゃなくて三浦蕭白だったら、こんなのスルーだったかもしれない。
村上隆の名前が出なかったら、気にも留めてなかったかもしれない。

よく見ないで信者になってしまい、自分自身の頭で考えるのを
放棄してはならないのではないかとおもうのです。

とりあえず、いつか、一度本物を見てみたいと思います。
そして自分の頭で考えてみようとおもう。
そうしなければいつまでたってもこんなの机上の空論。

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きわめて個人的でつまらない内容のエントリーですので、
なるべくスルーしてください。(ほんとうに。)

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