2009年08月28日
平成二十一年度菅原神社例大祭(下条祭り)が無事終了しました。
お祭りが終わりました。
産まれた時から阿賀野市の下条地区に住む私にとってお祭りとは
行政主体のイベント的なまつりではなく、「菅原神社の例大祭(下条祭り)」の事を指します。
ムラ(下条)の鎮守である菅原神社の氏子として参加する重要な神事なわけです。
平成二十一年度菅原神社例大祭は24日が宵宮、25日が本宮です。
祭礼ですので年に一度、ご神体が一時的に神輿に鎮まって下界を巡幸するわけですが、
ご神霊が巡幸の途中で宿泊する場所が御旅所です。
その御旅所が今年は神社から遠く、渡御する距離が長くて大変でした。
御神輿に随行するのが昼間は仁和伽と呼ばれる山車。
笛や太鼓を鳴らして子供たちが引っ張ります。
夜は若い衆が担ぐ燈篭が御神輿の露払いを勤めます。
民俗学的には山車や燈篭は氏子の化身であるとされています。
通常御神輿は車に乗って渡御するのですが、宵宮の夜は
氏子によって実際に担がれます。したがって燈篭は随行いたしません。
本宮は11の町内会が本燈篭、女性燈篭、子供燈篭を出して、御神輿に随行します。
各町内の燈篭がぶつかり合うのは、ご神体が宮入りしてお祭りが終わってしまうのを
惜しむため燈篭がぶつかり合い、神様がお帰りになるのをを少しでも遅らせるためだとも、
神様は勇壮なものを好むためとも言われています。
菅原大祭のクライマックスは宮入です。
ご神体が神社にお帰りになられる儀式です。
若い衆が参道でスクラムを組み、途切れのない「おーー」という声を出して
結界を作ります。ご神体の宮入の際に悪霊が紛れ込まないようにです。
ご神体が宮入りした瞬間、いっせいに若い衆が神社の入り口めがけて入り口をふさぎます。
掛声をかけておしくらまんじゅうみたいな形になります。
宮入後、神楽の奉納舞を見守り、祭りは終了です。
このとき境内は氏子と見物人で立錐の余地もないほどです。
日常とはかけ離れた神々しいハレの世界がそこにはあります。
そして、祭礼をおえて、清められた身でそれぞれ帰路に着きます。
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というわけで、ずーと祭りに参加していたので、写真は一枚もありません。
私は若い衆ではないので、御神輿や燈篭はちょっとしか担ぎませんでしたが、
2日間ずっと昼間からお祭りに参加していたので、とても疲れました。
祭りと酒は神事として切っても切れないものであり、そういう意味合い(でないにしろ)
飲みづかれも加えて、終わったあと2日くらい半分死んでました。
法被を洗濯して、また来年。コスモスの花が夏の終わりを告げています。
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